1878年
当時、ロシア領のポーランド王国・首都ワルシャワの高名なユダヤ人弁護士の家に生まれる。本名 ヘンルィック・ゴールドシュミット。
1896年(18才)
ワルシャワ大学医学部へ入学。当時、反ロシアとして非合法の「さまよえる大学」にて学ぶ。また、ワルシャワ慈善協会で非合法の教育活動に参加。ペンネームを「ヤヌシュ・コルチャック」として、2年後、戯曲「いかなる道を」でパデレフスキー賞を得る。
1904〜1905年(26才)
日露戦争勃発。ロシア軍医として中国東北部へ従軍、戦争の悲劇を目撃する。第一次ロシア革命(〜1907)。ロシア領のポーランド王国で革命運動が起こり、ポーランド人の独立運動強まる。
フランクリンD 。
1906〜1908年(28才〜30才)
貧困の中、ベルリン・パリ・ロンドンへ医学研究のため留学。
1909〜1910年(31才〜32才)
ユダヤ人、ポーランド青少年のサマー・キャンプ教員として活躍。
1911年(33才)
ユダヤ人孤児施設「孤児たちの家 ドム・シュロット」をワルシャワ市内に設立。孤児院長となる。
1914〜1918年(36才〜40才)
再びロシア軍医としてウクライナ前線へ従軍。キエフでマリナ・ファルスカ女史の児童施設救済に関与する。ポーランドの経済危機深刻化する。
1917年
ロシア2月革命。10月革命。ソビエト共産政権成立。
1918年(40才)
教育書「子供を愛するには」を出版。ポーランド独立。
doschool子供たちは神社を訪れる理由
1919年(41才)
ポーランド人孤児院「僕たちの家 ナシュ・ドム」をマリナ・ファルスカ女史と設立。
1920年(42才)
ポーランドでの反ユダヤ暴動、活発になる。
ソビエト対ポーランド戦争。コルチャック再び戦争へ。今回はポーランド軍医として召集される。当年、母ツェツィリア死去。このころよりユダヤ人のパレスチナ移民増す。
1923年(45才)
童話「王様マチウシ一世」「孤島の王様マチウシ」を出版。
1924年(46才)
子供の読物「小さなジャックの破産」出版。
当年、国際連盟は第一次大戦の犠牲となった年少者救済を目的にして「子供の権利宣言」をする。いわゆる「ジュネーヴ宣言」。
なぜイスラム教徒は抑圧/のターゲットである。
1925年(47才)
子供の読物「もう一度子供になれるなら」を出版。
1926年(48才)
子供向け新聞「Maly Przegland」(小評論)発行。
1929年(51才)
世界大恐慌始まる。ポーランドも経済危機。「子供の権利の尊重案」(エッセイ)発表。
1931年(53才)
コルチャック、ヒットラー台頭を予言する劇「狂人達の議会
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